株式会社シフト・ビジョンが展開する、イノベーションのヒントを探るインタビューシリーズ。第3回は、有限会社谷川クリーニングの谷川祐一氏・谷川麻美氏に話を聞いた。
これからの時代、企業における「組織運営」はどうあるべきだろうか。業務の効率化やプロセスの自動化がAIによって極限まで推し進められる未来が目前に迫る中、私たちは「人間の集団である組織」の本来の価値を問い直す時期に来ている。
茨城県神栖市を中心に複数店舗を展開する地域密着型のクリーニング会社、タニカワクリーニング(通称:タニクリ)。彼らの事例は、最新のITツールでも精緻なKPI管理でもなく、「管理の放棄」とも呼べるほどの圧倒的な自律性と「人」への徹底した信頼をベースにした組織づくりである。本稿では、そんな少し驚くようなタニカワクリーニングの組織運営をイノベーションの事例として紐解き、これからの時代における「人と組織」のあり方を考察していく。
えっ、クリーニング店にお客様がお菓子を持って挨拶に?
「この度、夫の仕事の都合で転勤することになりまして……。今まで本当にありがとうございました」
お客様がそう言って、店舗のスタッフに箱入りのお菓子を手渡す。まるで長年お世話になった恩師や、親しい友人への挨拶のようだ。しかし、ここは地域のクリーニング店である。チェーン展開するサービス業の店舗で、引っ越すからといってわざわざお菓子を持って挨拶に行く人がどれだけいるだろうか。
「そんなことがあるのか」と驚かれるかもしれない。しかし、タニカワクリーニングの営業店舗では、こうした光景が実際に生まれている。これは単なる「接客態度が良い」というレベルの話ではない。そこには、ただ衣類を受け取って返すだけのトランザクション(取引)を超えた、確かな「人間関係の場」が形成されている証拠なのだ。
不揃いな看板と「属人化」の肯定
なぜ、クリーニング店でお客様とそこまでの関係性が築けるのだろうか。その秘密の一つは、タニカワクリーニングが営業店の運営において「完全に属人的要素に徹している」ことにある。
一般的に、多店舗展開するビジネスでは「標準化」と「マニュアル化」が絶対の正義とされる。誰がレジに立っても同じクオリティのサービスが提供できるように、システムやプロセスで現場をコントロールしようとするのが常識だ。「属人化」は排除すべきリスクの筆頭である。
しかし、タニカワクリーニングはシステムやプロセスで現場をコントロールしない。さらに驚くべきことに、13ある店舗の看板すら統一されていない。同社のシンボルである「アライグマのロゴ」が大きく掲げられている店もあれば、ない店も混在している。「ロゴの統一なんてやらなくても良い」と完全に割り切っているのだ。
AIやシステムがどれほど進化しても、地域密着の店舗において顧客が求めているのは「いつものあの人」との温かいコミュニケーションである。標準化されたマニュアル対応ではなく、その店舗ごとの「顔」が見えること。看板が不揃いであっても、そこで働く「人」の魅力が際立っていれば、顧客はそこへ足を運ぶ。だからこそ、転勤の際にお菓子を持って挨拶に来るような、血の通った関係性が生まれるのである。

工場長がいなくなった。じゃあ、採用…やめようか
現場への権限委譲や自律性の尊重という言葉は、多くの企業で語られる。しかし、タニカワクリーニングのそれは次元が違う。
最も象徴的で、思わず笑ってしまうようなエピソードがある。ある時、同社の工場長が退職することになった。クリーニング業において、工場は心臓部である。通常であれば、大急ぎで後任の採用活動を始めるか、内部から新たな工場長を昇格させるだろう。
ところが谷川社長は、現場の社員たちに「新しい工場長は必要か?」と問いかけた。すると社員たちの答えは「いなくて良い」というものであった。普通なら「いやいや、責任者がいないと回らないだろう」と説得するところだが、会社はその意見を尊重し、なんと工場長の採用を見送ってしまったのだ。
管理者が不在になれば組織は混乱し、品質が低下すると考えるのが現代のビジネススクールのセオリーである。しかし、タニカワクリーニングでは、社員たちが自立し、互いに助け合う関係性が自然に機能することで、現場は見事に回っている。社長自身も現場に過度な介入をしない。朝礼に社長が顔を出さなくても、極端な話「社長が失踪しても社員は全く気づかないだろう」と笑い飛ばせるほどの自律的な運営が実現しているのである。

社員はお客様でも子供でもない。対等な「大人」への絶対的信頼
なぜ、管理者がいなくても組織が崩壊せず、これほどまでに生き生きと機能するのだろうか。以前、筆者はその理由を「社員をお客様のように大切に扱っているからだ」と推測した。しかし、谷川社長の根底にある哲学は、その推測を心地よく裏切る、さらに深く厳格な「人間へのリスペクト」であった。
「社員さんをお客様扱いや、子供扱いしないというのが私たちの基本スタンスです」
と谷川社長は語る。
社員はみな、自らの意思で面接を受けに来て、この会社の一員として顧客や仲間に貢献し、その対価として報酬を得ようとしている。彼らは社会生活を営む成人した立派な「大人」であり、誰かに依存しなければ生存できない子供ではない。だからこそ、甘やかすような子供扱いをしたり、ご機嫌をとるようなお客様扱いをしたりすることは、働く個人に対して「とても失礼なこと」だと谷川社長は考えている。
会社で働く彼ら・彼女らは、一歩職場を離れれば、自由に自律的に行動する一個人である。特にパートタイムで働く女性たちの多くは、家庭に帰れば立派な「リーダー」として君臨!している。自分自身の仕事をこなしながら、献立を考え、掃除や洗濯を行い、子供や夫の面倒まで見る。多重のタスクを並行処理しながら、家と家族を守り抜く高度なマネジメント能力を持っている。「そんな彼女たちが、職場の仕事をこなせないわけがない。『〇〇はできない』と勝手に限界を決めてしまうのは、経営者やリーダーの思い込みに過ぎない」と谷川社長は指摘する。
タニクリの前提は明確だ。「元々、依存的な人間はいない。ここで働くすべての人が善良で自律的な存在である」という確信である。もし目の前に依存的に見える人がいたとしても、それは本人の性質ではなく、十分な情報が与えられていないか、環境がそうさせているだけだと考える。環境さえ整えば、人は本来の自律的な姿を取り戻すのだ。
では、社長と社員の「判断基準の違い」はどこから生まれるのか。それは能力の差ではなく、「持っている情報の量の違い」でしかない。だからこそ、社長に集まる膨大な情報を、いかに包み隠さずオープンにし、社員のものにできるかが勝負になる。
情報を持った社員は、自ら考え、行動する。もちろん、そこには経験が必要なため、初めのうちは失敗もするだろう。しかし、タニクリにおいて失敗は悪ではない。誰もが失敗しながら学んでいくものであり、失敗して迷惑をかけたら周囲に素直に謝ればいい。
何事にも挑戦する姿勢と、失敗した時の真摯な態度。それが周囲との間に確かな「信頼」を生み出していく。信頼が増えれば、周囲から頼られる回数が増える。そして、この「人から頼りにされること」こそが、人間の最大の「やりがい」となるのだ。
谷川社長はこれを『責任を背負うという幸せ』と表現する。
「たくさんの人のお役に立ち、喜ばれ、頼られ、好かれ、沢山の責任を背負っていくというのは、誰もが出来るわけではない。とても幸せな生き方です」
自律した大人たちの集団だからこそ、そこには厳しい一面もある。独り善がりな行動をとったり、仲間や顧客の期待を裏切ったりすれば、周囲からの信頼を失い、自らの「居場所」を失うことになる。会社が解雇しなくても、周囲からの信頼を失えば、そこにいる意味を見失い、自然と去っていくことになる。善循環の社風が形成された組織では、こうした自然淘汰が機能するのだ。そしてこれは、経営者自身にも向けられた刃である。「私たち経営者も、独り善がりで自分最適なやり方をすれば、社員からの信頼を失い、人は離れていく。いくらお金があっても信頼は買えないのです」
かつて谷川社長は、「仕事が楽で緩い環境」こそが社員にとって良い会社だと思い込んでいた時期があったという。しかし今振り返れば、それは社員を部外者として「お客様扱い」し、頼りがいがないと「子供扱い(バカに)」していたことの表れだったと猛省している。
人は無意識のうちに、他者から頼られたい、喜ばれたいと願っている。しかし、タニクリにやってくるスタッフの中には、過去にそうした自己有用感を感じる経験を持てなかった人も多い。「だからこそ、仕事を通して『人の役に立ち、喜ばれる→人に好かれ、選ばれる→やりがいを感じる』という善循環を経験してほしい。それこそが、タニクリができる最大の社会貢献なのです」と谷川社長は力を込める。
「気持ちいい服は 気持ちいいタニクリで」
公式サイトにも掲げられているこのメッセージは、顧客体験に対する誠実な姿勢を表している。しかし、顧客に「気持ちよさ」を提供するためには、まずサービスを提供する社員自身が「気持ちよく」働けていなければならない。自律した大人として信頼され、責任を背負う喜びを知った社員たちが、心から気持ちよく働ける環境を整えることが、結果として極めて質の高い顧客体験へと直結しているのである。

売上も利益も「あとからついてくる」――お金より幸せ
企業である以上、売上や利益の拡大を目標に掲げるのは当然のことだと思われがちである。しかし、谷川社長らは「売り上げや利益の目標はない」と言い切る。初期の段階で倒産しかけるほどの凄まじい苦労を経験しているにもかかわらず、財務的な数値に執着していない。売上や利益は「あとからついてくるもの」だと考えているのだ。
彼らが本気で考えているのは「社員や自分たちの幸せ」である。「それがなければお金なんて意味がない」とまで言い切る。昨今、ウェルビーイングといった言葉が流行し、多くの企業が「社員の幸福」を掲げるようになった。しかし、その多くは「生産性を高めるための手段」としてのきれいごとに留まっているのが実情ではないだろうか。
タニカワクリーニングの凄みは、本気で「お金は二の次」と割り切っている点にある。現代のビジネススクールで教える「成功の定義」が通用しない世界観である。
しかし結果として、同社のビジネスは茨城県を中心に大変好調だ。地元住民が無料で使えるコミュニティスペースを提供するなど、しっかりと利益を出して社会に還元している。工場が一箇所であることが彼らのビジネスサイズを自然に決めているというが、無理な拡大を追わないことで、かえって足腰の強い経営体質を実現しているのである。
本社機能の身軽さも特筆すべき点である。事務所はなんとトレーラーハウスであり、事務員はゼロ。バックオフィスは麻美専務が一人で回している。肥大化しがちな管理部門を最小限に留め、現場にリソースと権限を集中させる。物理的な身軽さは、そのまま組織としての意思決定の速さと柔軟性につながっている。
ワークとライフは分けられない
インタビューの中で発せられた「ワークライフバランスという言葉はおかしい。ワークとライフは分けられないと信じているからだ」という言葉には、彼らの人生哲学が凝縮されている。
ワークライフバランスという概念は、暗黙のうちに「仕事(苦役)と生活(楽しみ)は対立するものであり、その均衡をとるべきだ」という前提に立っている。しかし、タニカワクリーニングの人々にとっては、仕事は人生の一部であり、それを楽しみながら生きているのだ。「仕事が楽しくなくなったら続ける意味はない」という発言は、彼らが「生きること」と「働くこと」をシームレスに捉えている証拠である。
もちろん、このような境地に至るまでには、事業承継の過程での大変な苦労や試行錯誤があった。はじめから理想郷があったわけではない。失敗から学ぶことができる謙虚な姿勢、偉ぶらないリーダーシップ、他人を思い遣る心。そうした谷川社長の人間性と、その背中を力強く押してくれる麻美専務の存在。社長も専務を心から尊敬し、「凄い人だ」と公言して憚らない。そんな夫婦の強い相互リスペクトを核として、時間をかけて現在の組織文化が醸成されていったのである。
AI時代に人間に残される「関係性」と「納得」の価値
定型業務やデータ分析、さらには一部の接客までもがAIによって代替されていくこれからの時代、企業組織において「人間」が担うべき役割とは何だろうか。
プロセスを精緻に管理し、ミスなく効率的に業務を遂行するだけであれば、機械やシステムの方が圧倒的に優れている。管理職がエクセルを睨みながらKPIを追いかけるようなマネジメントは、遠からずAIに取って代わられるだろう。
タニカワクリーニングの事例が私たちに教えてくれるのは、AI時代における人間の絶対的な価値は「関係性の構築」と「意味の共有(納得)」にこそあるという事実である。
工場長がいなくても現場が回るのは、社員同士に「相互の助け合い」という強固な関係性があるからだ。看板が不揃いでも、お客様がお菓子を持って挨拶に来てくれるのは、店員と顧客の間に血の通った関係性という「場」ができているからである。売上目標がなくても利益が出るのは、「社員の幸せ」という絶対的な目的(意味)を全員が共有し、納得して働いているからだ。
まとめ:未来の組織は「システム」から「生態系」へ
これまでの組織論は、企業を「システム(機械)」として捉え、いかにその歯車を効率よく回すかに腐心してきた。しかし、タニカワクリーニングが体現しているのは、企業を「生態系(エコシステム)」として捉えるアプローチである。
経営者は細部をコントロール(管理)するのではなく、良い土壌(環境)を整えることに注力する。そこに集う人々(社員)を信頼し、それぞれの個性や自律性を尊重することで、有機的なつながりを持った強い組織が自然発生的に育っていく。
読み終えて、「こんな会社が本当にあるのか」と驚かれた方もいるかもしれない。もちろん、これはどのような企業でも明日からすぐに真似できるものではない。経営者の覚悟と、途方もない対話、それから失敗を許容する文化が必要不可欠である。
しかし、私たちがこれからの「人と組織」のあり方を構想する上で、タニカワクリーニングの実践は大きな希望の光である。「管理の強化」ではなく「信頼の設計」へ。この根本的なパラダイムシフトの先にこそ、人間が真に人間らしく、楽しみながら働ける未来の組織の姿があるのではないだろうか。
会社概要
商号:有限会社谷川クリーニング
創業:昭和44年9月
所在地:茨城県神栖市知手中央3丁目9番16号
代表取締役:谷川 祐一
事業内容:家庭用クリーニング、業務用クリーニング、各種特殊加工・特殊洗浄、リネンサプライ、コインランドリー、セミナー開催など
https://tanikawa-cl.com/
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